ドーナツアンプとトスカスピーカー

キツネはそれを巣に持ち帰り たいせつにたいせつに育てました

ネルソン ネルソン

何気なくつけていたテレビ。

アメリカの片田舎の冬景色。

降り積もる白

ふる ふる ふる。


壮大さが 寒さに拍車をかける。


これだけの広さのある冬は

一点の感情で精一杯。


その分 春になれば草木や生き物達の騒がしい息吹を想像して やっと一息つける安心感。


茶色く錆びた鉄パイプの上に スズメのような小鳥が一羽。


ネルソンさんが近づいても飛び立つ気配が無い。


いよいよ手が届く距離まで近づき

小鳥は忙しく翼を動かすも、

宙へは舞わない。


脚が凍り 鉄パイプにくっついてしまったようだ。


手のひらを小鳥へと伸ばすネルソンさん。


パタパタと一生懸命 飛び立とうと羽を動かす。


ネルソンさんの大きな手が小鳥を包む。


羽を動かし続ける小鳥。


広い広い冬の中の景色。


空も大地も真っ白く


白はまだまだ降ってくる。


小さな小鳥を包む 大きな手。


色褪せたデニムは空の色


大きな手に暖かい息を吹きかける口には 雪のような白い髭


煙のような息は すぐにかき消されてしまう。


羽を動かすことをやめた小鳥は

ネルソンさんの温もりの中で

ゆっくりと瞬きを繰り返す。





そんなワンシーンで涙がこぼれた。


冬は厳しく

色々な物を奪っていく。


だから わずかな物だけを大切に抱えて春を待つ。


きっと全部は持っていられない。


ネルソン ネルソン


春まで あともう少し








all i want

一滴も零れることがなかった。

 

多分、そうだろうな。とは思ってはいたけど、割とたやすく泣く方なので

実際に目の当たりにした時に感情のどこをつつかれるのかはなってみないとわからない。という部分はあったから。

美化した走馬灯でもリフレインするものかもしれない。

ここまでやってこれたことを喜ぶかもしれない。

そんな涙の可能性もあったり。

 

違った。ということや、置き去りにしてきた若さは常に自分との対話であって、人に向けられるようなものではなかったと納得しているような気がする。

 

「散々好き勝手やってきた」

そう思っていたけれど、思っていたより中途半端だった気もする。

その時に感じていたことの多くが中途半端だったようにも思えてくる。

今、感じていることはどうなんだろう。と見つめてみて、気持ちが中途半端なわけでは無いけれど決定的な決断をするような時期はまだ先なんでは無いかと思うことがある。

多分 取り組んでいる最中でいて。瞬間、瞬間は本気なんだけれど思い切った行動に出るのはきっとまだまだこれからなんだろうな。と。

 

だから手は抜かない。っていう大切さはここ10年で学んだことの一つだと。

 

考えなかったり、下手なごまかし方をすると、やっぱり後々で返ってくるんじゃ無いかって。

ここぞという時に通用しなくなってしまう。

それなりにやってきたつもりだったモノが随分と浅かったと思い知っているのも今の事実だから。

後悔だらけでは無いにしても、もう少し通用する方が良かったと願うこともあり、気付いた時には遅かった。で済ますより、今からやらないと、また10年後そうなっているかのほうが気になったり。

全部、全開フルスロットルで挑めるわけでも無いのだけど。

 

終わった物事を、ちゃんと終わらせて。

必要なものを大事に抱えて進めるように。

 

温めたいものも、抱きしめたいものも

まだまだたくさんある。